店長ブログ

桜見物の深層心理

2019/04/23 15:24|コメント:0件

以下は風俗情報誌「イクナビ+42号」に掲載の記事であり限られた文字数の文面になります。     

 昆虫が光に群がる目的は繁殖である。

昆虫は単独で生活を営むが、交配時には空中に飛び出し舞い踊る。

その時、各個体が一斉に太陽や月を目掛けて飛翔すると、ある一点で結ばれ集団を形成する。

光の中でも特に紫外線は波長が短い為、プランク定数から、より強い電気信号が脳を刺激する為と思われる。

更に「物質を熱に変換」する「宇宙の意思」から、熱変換の最終段階の香料酒類も波長が短い。

魚類も光に集まるが、これは光の変化を餌と間違う為に起きる。

所謂「光の二重性」による現象で、サンマは水中で光が「粒」になると小魚に、光が散乱して「波」の時は小魚の出す「波紋」に見える筈である。

この二重性は「場」である空間の反応であり、光その物は変化しない。

さて、

華の色香に忘我し、酒肴に舌鼓を打ち、歌舞踊に酔いしれ、人々は旧交を温め絆を結び自然の営みに喜びを見出す、が春風とんだ嵐に興ざめの感あり。

以上
前稿で「女子と小人は養い難し」を母子関係と捉えた理由を示す。

原文は、子曰・唯女子與小人爲難養也。近之則不遜、遠之則怨。

訳文として、ただ女と小人(狭量の人間)は扱いが難しい。近づければ図に乗るし、遠ざければ怨まれる。

以上の訳文が一般的である。

しかし信条が、己の欲せざるところ人に施すなかれ、に代表される人間愛あふれる精神の孔子である。

それなのに弟子が、師匠である孔子の人間愛が微塵も感じられない警句を、後世に残すはずがない。

この訳文はどう考えても不可解であり、浅学菲才の身ながら客観的事実・・を基に新たな見解を示したい。

まず、文字列の漢字、「養」「唯」「與」「則」に注目したい。

①「養」とは羊を食うと書くので、扱いとか教育ではなく、文字通り飯を食わせる、則ち、扶養の意味ではないか。

一般的に扶養されるのは妻と子であり、義務が生じるのは夫である。

②「唯」を「ただ」と訳せば、「殊更に言う程でもないが」か「覚えていてほしいが」、辺りであろうか。

人口の半数を占める女子と、君子の対語を小人とすれば、該当者は全人口の大半に及ぶ、それが唯(ただ)の文字では軽すぎる。

③與の文字は「○○と○○」であり、人間愛に根差した合理主義の孔子が、女子(女性)と小人(狭量な人間)を乱暴に一括りする事はあり得ず、もっと詳細に分類するだろう。

「與」は「輿車」などを意味する臼偏から読み解くと、「女子と小人」は一体性を有する関係を表してると考えたい。

④則は規則など決定事項、あるいは論理から導かれる答え「則ち○○である」と断定する用法である。

ここでは、「近」の場合は不遜、「遠」の場合は怨と断定してる。

だが、「近」「遠」の作用を受ける「女子と小人」に、「不遜」「怨」の反応を示すと決めつける事は出来ない。

「遠」の作用を受けて嬉々とする「女子と小人」もいるだろうし、「近」の作用を受けて殊勝になる「女子と小人」もいるであろう。

これを、近づく遠ざかるは孔子の方で、「女子と小人」を孔子の「妻と子供」に読み替えると、孔子の体験に基づく話になるので、断言する事が出来る。

⑤小人には子供の意味もある。

次に、子を持つ母の立場に立って考えると、

神から種の保存を託された女子は、一生で数人程度しか子を産めないので失敗は許されない。

母親となった女子は、まず子供を無事に育て上げる事、そして子供の将来を決める10代前半迄の競争時代を、子と一体となって生き抜かなければならない。

つまり、母にとって子育ては絶対に負けられない戦争であり、母性本能に合理精神は存在しない。

さて、

戦時モードに突入した妻が、仕事オンリーの夫に見せる態度は推して知るべし。

特に孔子の場合「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」を信条とするので、妻と子の態度は我慢できなかったかもしれない。

以上の事柄から、冒頭の「子曰く」の訳文は、

先生が言うには、一般論として妻と子供を養っていくには大変な苦労を強いられる・我が家に機嫌取りに帰れば嵩に掛かってくるし、家に帰らないと帰らないでブツブツ言われる。

この理由は、極めつけの仕事人間の孔子は、仕事優先であまり家には帰らなかったような気がする。

真偽の方はどうだろうか・・

宇宙の意思に従う母性本能

2019/04/04 16:33|コメント:0件

以下は風俗情報誌「イクナビ+41号」に掲載の記事であり限られた文字数の文面になります。    

 宇宙の意思とは物質を熱に変換する事である。空間の引力作用で恒星からは熱と光を、天の川銀河太陽系第三惑星も地質変動で地熱を絞り出す。そして地表の生命体もその一翼を担う。食物連鎖とは物質を次々と熱に変換するプログラムである。即ち、より多くの物質を熱に変換した者が覇者となる。さて、雌雄が存在する生命体は雌が創る世界である。今の地上動物界の覇者は人間である。人間社会とは女性の意思で創られた世界である。その手法は授乳保育で気付かれる事なく、男は女に服従する様に刷り込まれる。儒教の孔子でさえ「女と子供は云々」と嘆く程、母性本能には合理性が無い。それは種保存の為には失敗は許されない、行き過ぎも何のその子育ては徹底している。そして宇宙の意思を具現する引力と言う「力」と同様、女も「美と性」を武器に男の「力」を利用し現代にたどり着く。教訓、母は強しありがとうお母さん。

更に稿を進める。

何故、物質を熱に変換する必要があるのか。

この因縁は宇宙ビッグバンに遡る事になるが、「空間のエネルギー源が熱である」と定義する。

例えば、人間のエネルギー源が食料と定義すれば、人間社会の全現象はこの定義から端を発し、運動第三法則・作用反作用を基本原理として全て説明が可能である。

即ち、宇宙も同様にビッグバンの必然性と、その後から始まる森羅万象を克明に解き明かす事が出来る。

更に、宇宙は一個一個の数の寄せ集めでできており、この事が数学を担保することになり、加算式の発見と共に数学の進化発展に繋がる。

つまり、宇宙とは物理法則で成り立っており、その解明には数学が大きく寄与する事になる。

このビッグバンの顛末は、拙著の宇宙の泡構造を解明する、このブログ内の「宇宙の瓦落(がら)」1~3に認めている。

さて、

物質とは宇宙ビッグバンで陽子(原子核)と陽子生成の際の衝撃波である電子の複合粒子、水素原子である。

これは空間のエネルギー源である「熱」と「場」である空間を形成する重力量子群が、ビッグバンで圧縮爆発の作用で生成された事による。

即ち、空間にとってはエネルギー源の熱の固形化に伴う、熱溶融作戦である。

太陽であれば空間の引力作用で水素原子から熱を引っ剥がし、地球であれば元素のマグマ化と造山活動による摩擦熱及び風化作用である。

更に、物質も空間の引力作用と熱の平衡作用で生命が誕生し、宇宙の意思である物質の溶融作戦の一翼を担う事になる。

次稿では、所謂「女と小人、云々」を母子関係と捉えたのか、示したい。